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<title>どうなってるの！</title>
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<description>社会の出来事あれこれ</description>
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<title>底辺大学を見極める方法</title>
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<description>日本に大学は500くらいある。そのなかにはトンデモナイ大学もある。本来、大学は学...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;日本に大学は500くらいある。そのなかにはトンデモナイ大学もある。本来、大学は学生の知的向上と論理的思考の獲得に役立つ教育を提供するべきものなのだが、それとは真逆なことをしている大学もある。そうした大学を底辺大学としておこう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;底辺大学とは、単に偏差値が低い学生が集まる大学というだけではない。大学がその教育的機能を放棄しているものこそが、底辺大学なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ではそうした底辺大学はどのようにして見極めればよいのか？　大学の内情を知らなければ正確なことは判断できないことは当然なのだが、簡単に判断する方法が存在する。しかもその方法は、インターネットで簡単に調べることができるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨今の情報化社会に対応して、大学はすべてホームページを作成し、大学を宣伝している。ホームページを持たない大学など、進学してはならないということは、当然のことだ。そのホームページをみて、二つの点を確認すればよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;底辺大学の特徴その1&lt;/strong&gt;。底辺大学のホームページを見て、各学部・各学科に入り、その&lt;u&gt;専任教員の一覧を探せばよい&lt;/u&gt;。専任教員一覧がない大学や、仮にあっても氏名を並べているだけの大学は、ほぼ間違いなく底辺大学と考えてよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;底辺大学の専任教員の多くは、まともな研究者・教育者ではない。仮にまともな研究者・教育者がいても、そうした人物は、その大学に呆れ、すぐに移ってしまう。大学の中でもどの大学がまともかどうかは噂として流れているので、まともな人物はそうした大学には行かない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;底辺大学の特徴その２&lt;/strong&gt;。底辺大学のホームページを見て、そこにその&lt;u&gt;大学の経営者の顔や経歴などが不必要に掲載&lt;/u&gt;されているような大学は、ほぼ底辺大学と考えてよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大学の経営者が優れた研究者や教育者であることはありえない。研究にしろ、教育にしろ、どちらにしても、組織経営という観点から見れば、全く不必要なことに資金を使う「不採算」な事業なのだ。不採算の事業に情熱を注ぐ、研究者や教育者が、優れた経営者であるはずはないのだ。にもかかわらず、経営者の顔写真や粉飾された経歴を掲げるような大学は、経営者、つまり理事会の力が圧倒的に強い大学である。しかも、大学宣伝の重要なツールとなっているホームページに、そうした経営者を大々的に扱っている大学は、単なるワンマン経営というだけでなく、そうした経営者が教育・研究の分野に強く介入していることを示している。一人の人間が大学の全権を握っているからこそ、経営者の顔写真などがホームページで大々的に扱われるようになるのだ。そんな大学がまともな大学であるはずなどないのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これから大学を受験しようとする人、大学生の人、大学に関心をもっている人、さまざまな人がいるだろうが、どの大学が底辺大学なのかを判断するには、上記の二つを見てみるのも、外部から判断する際は、有用な手段である。その大学の内実が、ホームページには現われているものなのだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>ケケロ</dc:creator>
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<item rdf:about="http://whoswho2001-ossann.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-818b.html">
<title>法律の適正な運用を！</title>
<link>http://whoswho2001-ossann.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-818b.html</link>
<description>前回記した冤罪事件について考えるたびに思うことは、法律の適正な運用ができていない...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前回記した冤罪事件について考えるたびに思うことは、法律の適正な運用ができていないということだ。冤罪事件を生む出す原因のひとつは、法律の恣意的な運用がなされているということだ。冤罪事件をなくすために、さらに法律を恣意的に運用するのではなく、法律の運用を適正にそして可視化して行うことが必要なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;志布志事件という極端な冤罪事件があった。詳細は、&lt;a href=&quot;http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sibusijikenn.htm&quot;&gt;松山大学の法律の先生が作成されているホームページ&lt;/a&gt;に記されているので、そこを参照されたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;志布志事件がなぜ起こったのかについて、その真相は現在のところ闇の中ではあるのだが、被害者の&lt;a href=&quot;http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710290786/1.php&quot;&gt;中山県議が語る推測&lt;/a&gt;は、かなり的を得ているようにも思う。中山県議が推測されることが、仮に事実だとすれば、故森義夫鹿児島県議と磯辺一信警部の行ったことは、単なる思い込みの範囲を超え、無罪のものに罪をでっち上げる違法行為そのものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在、冤罪事件が発生するたびに、声高に叫ばれることは捜査や事情聴取の可視化である。それだけである。確かに、事情聴取の段階での警察官によるまるで暴力団かと見間違えるほどの違法行為は、捜査の可視化によって減少することはあるだろうが、それだけだ。現行法の限界は、捜査機関に所属する人間を基本的に善意に解釈している点にある。捜査機関に所属している人間の中には、悪意をもち、モラルも道徳も欠けた人間も多いのだ。その証拠として、警察官による痴漢行為、覚せい剤乱用事件などが後を絶たないことをあげておく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;警察官を善意で解釈すればするほど、警察官の法を遵守しようとする気持ちが失われていくのである。何せ彼らはその法律を取り締まる側の人間で、仲間意識に固まった人間集団であるのだから。そうした人間に対しても、法律を適切に運用させる動機は、恣意的に運用したことが発覚したときには、通常以上に厳しい処罰が課せられるということである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;上記の磯部警部の行為が、もし森議員との癒着関係の中から、ありもしない罪をでっち上げたとすれば、現時点における戒告処分で許されるようなものではない。実刑としての懲役刑に値する脱法･違法行為である。権力を行使する人間には、行使する立場の人間が持たなければならないものがある。それを逸脱したときには、厳しく罰すべきである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;広島少年院で、入院している少年に過酷な指導をしたとして裁判にかけられている法務教官の事件があった。彼らが、法律を逸脱し過酷な指導をした背景を勘案すれば、法務教官の行為に対して同情を禁じえないところはあるにしても、実際に行われた行為は処罰されるべき過酷なものであった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;警察官だから、公務員だから、政治家だから、と、法律の適用と運用を変えていたのでは、法律そのものに対する信頼が失われてしまう。法律の適切な運用こそが、今、求められているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>ケケロ</dc:creator>
<dc:date>2009-12-16T12:57:56+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://whoswho2001-ossann.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-7332.html">
<title>相次ぐ再審開始：冤罪被害者の立場から</title>
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<description>このところ、一度確定した判決を覆し、再審が決定される事案が増えている。冤罪被害だ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;このところ、一度確定した判決を覆し、再審が決定される事案が増えている。冤罪被害だといえば、それまでのことなのだが、冤罪被害に遭った人にとっては、人生を狂わされるとてつもない出来事でもある。その視点でこの問題を検討してみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まず冤罪はなぜ起こるのか。ここに問題の根源がある。これまでも冤罪事件は数多くあった。最近、明らかになっただけでも、富山での婦女子暴行事件の冤罪事件、志布志での選挙違反冤罪事件、足利事件などがある。はっきりと冤罪事件だと判断はされていないが、冤罪事件だと筆者が信じている高知での白バイ事故事件もある。こうした冤罪事件に共通することは、警察による思い込み捜査の結果、警察官の恣意的な思い込みがそのまま継続してしまっているという点である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;富山冤罪事件、志布志事件、足利事件は、ともに逮捕･起訴された容疑者・被告人にとって有利な証拠が存在するにもかかわらず、そうした証拠に関する裏付け捜査が全くなされず、警察にとって有利に作用する証拠だけが｢捏造され続けている｣ということだ。富山冤罪事件では、足跡のサイズが異なること、容疑者とされた方の通話記録の存在などが無視された。志布志事件に関しても、金銭の受け渡しが行われたとされる時間に、金銭を渡したはずの県会議員候補者が別の箇所にいたという証拠があるにもかかわらず、その点は無視された。足利事件に関しては、唯一の物証とされたDNA鑑定そのものが間違いであったのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これらはなぜ起こったのか。容疑者に有利に作用する証拠を隠し、警察に有利な証拠だけを集めようとする警察の捜査があるのだ。この警察の捜査は、真実を明らかにするという警察が本来果たさなければならないことを一切せずに、単に、警察の面子、極論すれば捜査を指揮している警察官の面子のみを守ろうとするはなはだ浅ましい屁理屈だけが存在している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この警察の面子だけを守ろうとすることが、その捜査の違法性を問わないことにつながることが自体が間違っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;上記の事件を担当した警察官は、なぜ、そのような間違いをしたのかを明らかにしない限り、その違法行為、言い換えれば犯罪行為を免責されることはないはずなのだ。犯罪を犯した警察官、特に権力行為を行っている際の警察官の違法行為に関しては厳密にそして厳しく処罰する必要がある。そうでなければ、法そのものの信頼性を欠いてしまうことになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また同時に、冤罪被害にあった人にとって、犯罪行為をおこなった警察官が野放しになっていることは、許し難いことでもある。警察が正義を振りかざすのであれば、その正義を身内の犯罪行為を行った警察官に向けるべきだ。そうでない限り、冤罪事件は繰り返される。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>ケケロ</dc:creator>
<dc:date>2009-12-15T20:38:19+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://whoswho2001-ossann.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6e24.html">
<title>｢野党｣自民党の遠吠え</title>
<link>http://whoswho2001-ossann.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6e24.html</link>
<description>自民党が野党に転落して数ヶ月。日本政治が変わりつつある昨今の政治状況の中で、｢野...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;自民党が野党に転落して数ヶ月。日本政治が変わりつつある昨今の政治状況の中で、｢野党｣に転落した自民党が見苦しい遠吠えをし始めている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中国の習近平国家副主席の来日の際に天皇と会見することを、批判している。根拠は、天皇との会見は1ヶ月前までに設定する｢ルール｣があるのに、それを鳩山内閣が無視したからだ、とのこと。まことに、見苦しい批判だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本国憲法第３条には、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定されている。内閣の助言と承認、つまりは内閣が決めてことであれば、天皇は内閣の責任の下で、国事に関する行為を行うということだ。現在の内閣は、民主党中心の連立内閣であり、その首班が鳩山由紀夫氏である。鳩山首相の決定と依頼に、なんら違憲的な項目は存在しない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、天皇会見の予定は1ヶ月前までに決める、という｢ルール」は自民党政権下で決められていたルールに過ぎない。しかも、それは明文化されていない｢ルール｣なのだ。明文化されていない｢ルール｣と、現実的な政治対応という政治行為と、どちらを優先するかは、その時々の内閣が決定すればよいことであり、それに対して批判を声高に言うというのは、あまりに感情的だといえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これまで、天皇という存在を政治的に利用し続けてきたのは、いったい誰なのか？　自民党政治家たちではないのか？　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそも天皇という存在そのものが政治的なものである。外国の元首との会見などはすべて内閣の決定事項であり、天皇自身が決定するようなものではない。極論すれば、日本国憲法下での天皇は、自らの意思を一切表明することは出来ず、すべての行為は内閣の監督下に置かれているのだ。そうした状況を｢非人道的だ｣と批判することは可能なのかもしれない。しかしそうした議論は、これまでの日本政治の中で起きたことは無く、天皇を巡るさまざまな政治勢力が、都合のよい議論を組み立て続けているだけだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自民党は、野党に転落したのだ。これまで自民党が構築してきた日本政治の仕組みにさまざまな問題があり、そうした問題の解決を自民党では出来ないと国民が考えたからこそ、自民党は｢野党｣に転落したのだ。その反省をまずした方がよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;事業仕分けの際も、｢拙速だ｣だとか、「国民ことを考えていない」だとか、色々な批判をする自民党幹部がいたが、そうした批判はすべて自民党自身に対する批判でもあるのだ。政権担当政権としていったい、自民党は何をしてきたのか。事業仕分けで問題となった天下り問題では、自民党は民主党では天下りを根絶できないと批判していたが、そうした問題を生み、大きなものとし、日本の行財政に対して大きな負担になるまでの問題としてしまったのは、ほかならぬ自民党なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;独立行政法人という限られた組織に対して、理事などの幹部で天下る以外に嘱託という形で天下る官僚がいるということを、放置していたのは自民党だ。現在、日本の財政政策では、こうした天下り法人に対する行政経費としてその大部分を浪費されるだけで、実際の真水として機能するのはホンの一部だ。公共事業にしても、仮に100億円の事業を行ったとしても、実際に真水として機能しうる事業費は、せいぜい30～40％に過ぎないのではないだろうか。だから、いくら財政出動をしたところで、実際の経済に与える影響が限定されてしまっているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした仕組みを創り上げたのは自民党だ。この仕組みを解体する作業は大変で、なかなか進めることが出来ない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした問題を無視して、声高に批判する自民党の議員を見ると、｢天に唾するというのはこういう輩だ｣と思ってしまう。かつて首相まで勤めながら、内閣総理大臣職を放り出した張本人が、人様のことを「無責任だ」と批判している様は、滑稽以外の何者でもない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;野党に転落した悔し紛れの遠吠えにしても、少しは将来的な展望を見渡した批判をすべきだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>ケケロ</dc:creator>
<dc:date>2009-12-14T15:50:01+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://whoswho2001-ossann.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-92e9.html">
<title>「専門家の意見」は尊重すべきか？</title>
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<description>政府の事業仕分けに関わる議論の中で、「専門家の意見」というものが注目されている。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;政府の事業仕分けに関わる議論の中で、「専門家の意見」というものが注目されている。スーパーパソコンの関する予算が削減対象となったとき、ノーベル賞受賞者の大学者先生が登場し、「それではだめだ！」と大見得を切った。音楽関係の予算が削減されると、小澤征爾氏が民主党の小沢一郎幹事長に「音楽予算を削らないように」と要望しに行った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なるほど、専門家の意見は貴重であろうし、傾聴すべき点も多いのだろう。しかし、その専門家が使っている予算というのは、国民の税金なのだ。国民の税金から捻出されるそうした予算を、そうした専門家はどれだけ効率的かつ有効に利用しているのだろうか。はなはだ疑問が募る。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大学の教員が使用している科学研究費も、どれだけ有効に利用されているのか、疑問だらけだ。文部科学省関連からの研究費には、ある程度の監査が入るが、大学独自の研究費は、教員のモラルが問われるような使い方が多い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;研究費を使うことが出来ない（つまり、研究しない）から、高級な万年筆を10本購入する打とか、観光旅行に行く海外渡航費を研究費から捻出するなど、通常の考えでは考えられない使われ方がされている。科学研究費にしても、項目外使用は当然、会計法上違法とされる企業への預けなど枚挙に暇がないほど、問題ある使われ方がされているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;スーパーコンピュータにしても、スーパーコンピュータ予算の是非以前に、それに関わる行政経費が問題視されたはずだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;専門家の意見というのは、本当に傾聴すべき性格のものなのだろうか。単に、自己正当化のための理屈に過ぎないことはないのだろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>ケケロ</dc:creator>
<dc:date>2009-12-09T22:24:24+09:00</dc:date>
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