治安を維持することは国家に課せられた最も重要な任務である。国家にどれだけの任務を与えるべきかで、さまざまな国家論が議論されるが、そのどの国家論においても、治安維持活動は国家が行うべき任務であるとされている。
治安を維持する任務を担う具体的な組織は、軍隊と警察である。軍隊は、外国との関係においての治安を担当し、警察は国内における治安の維持を担う。軍隊と警察は、規律正しく、汚職などに染まらず、一定の指揮の下で任務に励むことが期待されている。
日本において、軍隊に関しては色々な議論がある。自衛隊は軍隊でないとかあるとか、憲法9条の規定から自衛隊という武力組織は違憲であるとか合憲であるとか、などなど。この議論は複雑で長くなるのでここでは省く。
警察に関しては、これまでその活動に大きな不満も見られないし、組織が根本から腐敗しているとはいえないような状況であった。そう、「あった」なのだ。今、日本の警察は、大きな岐路に差し掛かっている。
いかなる組織においても大人数の人間がいれば、問題を起こす人間がいるものだ。警察においてもそれは例外ではない。だから、一部のごく少数の警察官が問題を起こしたところで、それは問題を起こした警察官個人の問題だと考えられる。しかし近年、どうも警察官個人だけではすまないような問題が顕在化してきている。以下の記事(朝日新聞)を見ていただきたい。
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「警察官の証言信用できない」公務執行妨害、一転無罪に
2009年7月7日20時31分
岐阜県警の警察官から運転免許の提示を求められた際に暴行を加えたとして、公務執行妨害罪に問われた岐阜市の無職の男性被告(72)の控訴審で、名古屋高裁(下山保男裁判長)は7日、「暴行を受けたという警察官の証言は信用できない」として、罰金30万円とした一審・岐阜地裁判決を破棄し、無罪を言い渡した。
男性は昨年8月27日午前10時ごろ、自宅近くの路上で、後部座席の孫をチャイルドシートに着席させずに運転していたところ、岐阜北署の巡査長らから運転免許証の提示を求められた際の言動などに腹を立て、巡査長の胸を手のひらで2回突くなどの暴行を加えたとして、起訴された。
判決は、巡査長が現行犯逮捕する際に男性を転倒させた場面について、「被告が体当たりをしてきた」とする巡査長の供述と、「両手首をつかまれ、できなかった」とする被告の証言を検討。一緒にいた同僚巡査の証言が被告と一致するのに対し、巡査長の証言は「男性を負傷させた行為の適法性にかかわる事情で、記憶に反する供述をした疑いが濃い」として、信用性が低いと判断した。
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この事件、色々と考えさせられる。被告の証言とその場にいた巡査の証言が一致していることは、被告が現行犯逮捕され、警察に身柄が移された後でもおなじだったはずである。にもかかわらず、「被告が体当たりをしてきた」とする巡査長の供述が信用され、立件・起訴されている。
警察はこの事件を、なぜ立件したのだろうか。裁判になる以前、検察に送致される以前の段階で、供述と証言の違いをなぜ真剣に考えなかったのか。巡査より巡査長が階級としては上になるので上司の主張を、事実の判別ではなく、信じたのか? 警察は警察官の言うことだけを信用し、そうでないものの証言は無視する組織となってしまったのか。そうだとすれば、現在の警察官の根本的な教育、もしくは入れ替えが真剣に検討されるべきだろう。
検察はなぜ、この事件を起訴したのか。第一審は、なぜ、この事件を有罪としたのか。被告に不利な証言のみを信用し、被告自信の証言・供述の信用性を吟味することはなかったのか。この事件の本質に、高知白バイ事件と同じものを感じる。つまり、検察は、現場の警察官のデタラメな調書でもそれを無批判に信用し、起訴するだけの機関に成り下がってしまっているということ。裁判所も、自らで事実を究明しようとすることはせず、単に検察官の言うとおりに判決を機械的に下すだけの機関に成り下がってしまっているということ。
検察にしろ、裁判所にしろ、問題は深刻である。しかし、より問題が深刻で早急に是正・改革する必要があるのは、現場の警察である。上記の事件では、「被告が体当たりした」と供述した警察官(巡査長)は、嘘の供述を行い、無実のものに罪を着せようとしたと考えられる。これは、これだけで十分に犯罪行為である。公務執行中の出来事に、警察官の一方的な思い込みで、逮捕するなどあってはならないことである。
確かに、公務執行妨害罪の規定が改正されて以来、この規定に基づく逮捕が急増している。現場の警察官の権威が薄れ、警察官の職務執行上支障が生じてきたための改正であったのだろうが、この改正は、より警察官の権威を喪失させ、警察そのものに対する信用さえも崩壊させつつある。
現場の警察官の多くは、単に経験のみに頼り、思いつきで行動を起こす者が多い。十分な法律上の教育が施されていることも少ない。よく「現場のカン」というが、それが生きてくるのは、そうしたカンを持つものに誰もが信頼する善良な資質があってこそである。現場のカンは、別の見方をすれば、現場しか知らない偏狭な見方でもあるのだ。
今のような状態が続けば、警察に対する信頼が喪失してしまう。警察という組織は、国家にとって最も重要な治安維持という職務が担わされているために、信頼を喪失してしまった場合、とんでもない事態に陥ってしまうことになる。そうならないためには、根本的な改革と再度の警察官に対する教育の強化が早急に望まれる。
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