学力のない大学生
以前、このブログでも紹介した事例を繰り返しになるが再度、記しておきたい。
1/2+1/3= という計算のことだ。数学というレベルではなく、小学校4~5年生レベルの算数だ。方法はいたって簡単。分母を同じくしない限り、分数は加減の計算ができないので(本当のところは違うのだが、小学校ではこのように教えている)、分母を同じくすることをまずする。つまり、通分という奴だ。1/2+1/3=3/6+2/6= として、答えは5/6 とする。
このブログを読まれている大部分の人には当然の計算式。でも、実際にこの問題を、三流大学もしくは底辺大学と呼ばれている学生にさせようとすると、ほぼすべての学生は、この計算の答えを、2/5 としてしまう。分数の計算にしても、通分するという基本的な計算原則を覚えていないので、単に分子と分母の数を足そうとしてしまうからだ。
なぜ、このようなことになるのか。この問題について触れる前に、次の問題を考えてみる。1/2÷1/3= の計算だ。算数が得意の人はすぐに、1/2÷1/3=1/2×3/1= として、答えを3/2 とだしてしまうことだろう。ここで、算数が得意でない人は、悔し紛れに、「1/2を1/3でどうやって割ることが出来るんだ」という人もいるようだ。分数の割り算は、逆数の掛け算にするというルールを覚えていないための悔し紛れでもある。
でも数学というのは、色々なルールだけで成り立つようなものなのだろうか。そうではない。1/2÷1/3という計算は、1/2の中に1/3はいくつあるのか? という問いへの回答だということが理解されておかなければならないのだ。
しかし小学校や中学校、高校で、こうした数学の基本的な問いにどれだけの教諭が理解しているか、不明である。多くの教諭は、単に、分数の割り算は逆数の掛け算として教え込もうとする。単にルールを教え込まされるだけの授業では面白くも何もないことだけは確かだ。
歴史の授業でも、645年に何が起こったのか、だけを教えて、その事件の歴史的な意味を教えなければ、単なる記憶の強化になってしまう。645年に起こった皇族によるクーデタという歴史物語があってはじめて、文化の改新という出来事に意味が与えられるのだ。
こういうコメントをすれば、学校の教員の質を高めるために講習会を増やしていかなければならない、などという結論に結び付けようとする輩が多いが、そういう輩こそ現状に対する認識が足りないのだ。すでに教員が受けなければならない講習会は数限りなくあり、こなすだけで大変な上、教育委員会に提出しなければならない書類の量は、ここ数年で数倍に増加している。
だからこそ、教員が逆に勉強できる環境をつくる必要があるのだ。講習を受けさせるのではなく、自らが学習する余裕を与えなければならないのだ。加えて、大学を卒業するだけが目標のようにしている現在の教育システムを根本から変革する必要もある。大学を出ることで、豊かな生活が保証される社会ではもはやないし、大学に進学する以外の選択肢も数多くあってもよいのだ。いかなる努力であろうとも、努力した者が報われる社会が正しい社会だと、筆者は信じている。怠けズルをした者が報われるような社会は碌でもないのだ。
今の日本は、そうした意味でおかしい。1/2+1/3=5/6 と計算できない大学生は大学に進学する必要はないのだ。他の途を探せば、もっと向いたものがあるはずだ。そして、その選択肢は尊重されなければならないのだ。今の社会では、大学に進学しないものは、社会の脱落者のごとく扱われてしまう。だが事実はそうではない。多様性を認める社会にすべきだ。
学生にしても、1/2+1/3=の計算が出来ない学生が、理系学部の授業を理解できるはずもないのだ。またそれだけの理解力しかない学生は、文系学部にしても、抽象的な解説を理解できるはずもないのだ。教える側も、教わる側も双方が不幸なことだ。
学生の学力不足は深刻だ。上記の計算問題はその実例の一つに過ぎない。漢字のかけない学生、文章をかけない学生、挨拶の出来ない学生、会話の出来ない学生など。小学生ではない、大学生の中に、そうした学生が数多くなっている。底辺大学、三流大学といわれている大学では、その学生の割合は少なくとも半分は超えているのが実態だ。
でも、学生が授業料を納め続ける限り、大学経営者はそうした学生を大切にするに違いない。教員に一生懸命に教育することを無理やりに放棄させてまでも・・・・・。「お客様は神様です」といった歌手がいたが、その言葉は本来の精神から離れ、独り歩きし、金の亡者と化した大学経営者の都合のよいように使われ始めている。
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