日本の教育現場を管理しているのは、各地に設置された教育委員会である。都道府県教育委員会とその下位行政単位を基礎とする市町村教育委員会がある。
この教育委員会は、元々はアメリカの教育制度を模倣したものであり、教育委員は当初、選挙によって選出されていた。しかし日本の風土に合わないということで教育委員の選挙は中止され、今のような文部科学省の下部機構として機能し始めたといういわくつきのものである。都道府県教育委員会の教育長には、文部科学省の官僚がつくことが多く、日本の教育制度は文部科学省の管理下に置かれている。
教育とは本来、教育を受ける者にどのような教育をするのかという基本方針の下に実施されるべきものである。個性豊かな子供の育成などが歌われることが多いが、子供が個性豊かで自由な発想をするようになれば、国家に対する忠誠心が損なわれると考える文部科学省は、そのような教育を実施しないようにしている。また、管理責任を問われることも極端に嫌い、管理責任を問われる可能性が少しでもあれば、教育委員会の責任が問われないように最善の策をとろうとする。
次の朝日新聞の記事は、くしくもそうした教育委員会の実情を示すものとして興味深い。少し長くなるが引用しておく。
***************************************
徳島市、全小学校の修学旅行中止 新型インフル警戒
2009年5月13日3時2分
成田空港で新型の豚インフルエンザの感染者が確認されたのを受け、徳島県教委が修学旅行の再検討を求め、県内の公立小中学校約300校のうち少なくとも162校が国内旅行の中止・延期を決めたことがわかった。徳島市内では全31小学校が5月に予定していた6年生の大阪、京都、奈良などへの旅行を中止。県内では「過剰反応」との声があがっている。
徳島県教委は、カナダでの語学研修から帰国した大阪府立高校の教員と生徒らの感染が確認された9日、県内24市町村教委に「修学旅行等については当分の間、中止を含め再検討すること」と通知。その後、中止や延期の決定が相次いだ。
朝日新聞が各教委に取材したところ、中止の徳島市のほかに、鳴門市の全18小学校、阿南市の全21小学校、三好市の全22小学校、小松島市の全11小学校が5~6月の旅行を延期。一方、那賀町は13日からの関西への5小学校合同修学旅行を予定通り実施する。
県教委学校政策課の尾崎好秋主幹は「結果的に過剰な反応だったということはありえるが、児童・生徒の安全を考えた」と言う。
一方、徳島市の原秀樹市長は12日の記者会見で「過剰反応だ。夏まで続けば、高校総体や甲子園にも行けないことになるのか」と指摘。文部科学省児童生徒課の担当者も「現段階では国内の修学旅行の延期や中止が必要な状況ではない」としている。
***************************************
この新聞記事にあるように、徳島県教育委員会の要請は「過剰反応」と考える。ただそれだけではないことも気付くべきだ。過剰反応かもしれないが、仮に監督下にある小中学校の児童・生徒が、修学旅行に行き、新型インフルエンザにかかった場合の、管理責任の追及をかわす意図があるということだ。この意図は、決して児童・生徒に対する教育的配慮から生じたものなどではなく、徳島県教育委員会の管理責任を回避する目的のみでなされたものなのである。
現場には、モンスターピアレントの問題も深刻だ。修学旅行先で新型インフルエンザにかかりでもすれば、モンスター性を発揮する親は最近、数が多くなってきているのだ。教員も、それならば、と思い、問題が大きくなる前に修学旅行を辞めてしまおうと思ってしまうのもうなづける。
教育を行うためには、教育の質を高めるためには、教員の資質は非常に重要であるし、それ以上に教員の教育意欲は重要である。意欲のうせた教員は、例えどんなに優秀であってもだめ教員である。まあ当然のこととして、資質のない教員はもともとだめ教員なのだが・・・・。
その教員の意欲を削ぐことばかりしているのが、教育委員会という組織である。管理責任を負わないようにするためには、危険性があれば問答無用で中止する。管理責任を負わないために、教員にさまざまなことの報告書の作成を命じる。事実、小中学校の教員の大半の仕事は、現在、教育委員会に提出する書類作成に費やされてしまっているのだ。提出された報告書類は誰に読まれることなく、倉庫の中につまれていくだけなのに・・・・・。児童・生徒と向き合う余裕のなくなった教員に、質の高い教育を期待する方が酷である。
実例は数多くある。底辺大学・三流大学といわれる教育機関モドキを見ればよい。大学は教育委員会の管轄にないため、好き勝手が行われている。特に経営者の利益優先の方針がそうした大学の教育を大きく落としている。質の低い教員。やる気のない教員。形ばかりの施設。教育をするためではなく、お金を集めるためだけの組織と化してしまっているのだ。
質の低い教員の実例。筆者が知っている実例としての教員は、若い教員だった。底辺大学といわれるその大学の卒業生で、大学院に進学し、そのままその大学の教員に採用された者だった。理系科目を担当することになったようだが、その教員の学力は、筆者が知る限り、普通にイメージする大学生低学年と同等に思えた。国立大学(地方国立大学にしても)には入学できないレベルの学力だ。にもかかわらず、大学で教鞭をとっている。その教員、講義の中で何を教えているかというと、講義科目の内容ではない。雑談と称して、アイドルの話や、お笑いタレントの話ばかりしているという。時にはお笑いタレントの真似までするので、学生からの面白い愉快な先生との評価をもらっている。ただこの教員、他大学で非常勤講師で呼ばれることはまずないだろう。いかんせん、能力がなさ過ぎる。当然、この教員の講義を受けた学生には、講義を受けた学生に期待されている新たな知識や技能は身についていない。別のまともな教員がその尻を拭わなければならない。
このような状態になれば、教育機関としての機能はないに等しい。小中学校においても同じだ。教員を管理する発想からでは、よい教育など実施することは出来ないのだ。
日本の教育は、教育委員会がダメにしたのだ。保守系の方々は、日教組が日本の教育をダメにしたというが、それは責任回避に過ぎない。
まあ、日本の保守系の方々は、今の内閣総理大臣を筆頭にまともに責任を取ろうとしない方ばかりなので、そうなるのだろうが・・・。悲しい現実でもある。
最近のコメント