「体罰」とモンスターピアレント
学校教育の中で体罰が有効でないことは明らかである。基本的に暴力からなんら生産的なものは生み出さず、かえって怨嗟・憎悪・憎しみなど教育的には負の効果しか持たないものしか生み出さないからだ。
ただし、肉体的な強制力が教育的効果を持つこともある。それは悪いことをしていると気が付きもしない子どもに、今自分のしていることは悪いことなのだぞ、と気付かせるために用いる強制力である。一つの例え話。子どもが電気のコンセントに金属製のはさみを入れて遊ぼうとしているとしよう。いろいろな親がいるだろうが、通常の感覚を持つ親であれば、まず子どもからはさみを取り上げ、危険なことだと諭し、理解させようとするだろう。仮にその子どもが幼く、親の言うことを理解できないようだったらどうするか。はさみを取り上げた後、「こんなことをしてはダメよ」と言いながら、手をパチリと叩いたりするだろう。このパチリは紛れもない強制力の行使なのだ。
強制力がすべてにわたってよいものではない。通常、体罰と呼ばれるような強制力は教育現場から排除されるべきである。ただ、上記のように教育的効果を持つ強制力まで排除することは、やりすぎだろう。体罰という強制力と、教育現場でも許容されるべき強制力とは峻別しておく必要がある。
先日、最高裁判所で教育現場における強制力の行使についての判断が下された。悪ふざけが過ぎる児童に厳しく接した教員の行為が、「体罰」に当たり、損害賠償の対象になるかどうかの判断であった。最高裁判所は、「やや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても,本件行為は,その目的,態様,継続時間等から判断して,教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではな」いとして、親から求められていた損害賠償請求を棄却した。
当然だ。教育を行うとき、教員と児童・生徒・学生が対等であるはずがない。対等な関係を持つものの間には、何らかの強制力を必要とする教育そのものが存在しないのだ。親が子どもの勉強を見ているときを思い出せばよい。親の注意に対して、子どもが平気で口ごたえをするものだから、親も感情的になり、思わず叱ってしまい、勉強を教えるどころではなくなってしまったという経験を持つ人は多いだろう。親と子どもは、その親密さからどうしてもその関係は対等に近いものになってしまうからだ。
筆者は体罰を容認する気は一切ない。しかし教育現場には、指導に従わない児童・生徒・学生に対して、何らかの強制力が存在しない限り、指導・教育などは出来ないのだ。適切な範囲での強制力の行使は、今回の最高裁判決が示したとおり、容認されるべきものとすべきでもある。
ただ思う。判決にある児童の親はどういう気なのだろうか。判決文、しかも最高裁判所の判決文しか読んでいないので、詳細な事実関係は不明だが、この事例、筆者の常識だと子どもの悪ふざけが過ぎている。小学校2年生と言えども、ひどすぎる。平成14年(2002年)に小学校2年生なのだから、今(2009年)は中学3年生。どのような生徒になっているのか見てみたいと思う。この教員の指導がよいのかは分からないが、普通の生徒になっていてほしいと思う。親には期待できないので! こういう親を、モンスターピアレントと呼ぶのだ。
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