ゆとりがなくなった社会
日本という国は、いつからゆとりを無くしてしまったのだろうか。
派遣労働者の解雇に見られるとおり、急激な経済環境の悪化が企業の業績を急速に悪化させている。すると即座に、企業の労働者、なかでも最も立場の弱い派遣労働者のクビを切ろうとする。この関係を、弱肉強食の二項対立的に捉えるだけでは不十分であろう。派遣労働者を切り捨てようとする企業にしても、その最も過酷な状況を生み出している企業の多くは、請負企業であったりするからだ。派遣切りをする企業も、日本社会の中ではまた弱者なのだ。
別の視点も考えよう。アパートなどの賃貸問題だ。最近、敷金・礼金なしで借りることの出きる不動産が増えているという。ただし家賃の滞納をすれば、即座に追い出されるらしい。この問題、結構、日本社会を象徴しているようで面白い。
家主の立場からの見方。アパートを借りている人が、家賃を支払うことは当然だ。だから、家賃を滞納した場合、アパートを出ることは当然だ。滞納分の家賃を支払えばもっと良い。ただ、家賃を支払わない場合、正規の立ち退きの手続きをしなければならないが、それだと裁判にかけなければならず、通常だと8~10ヶ月くらいの時間がかかる上に、約50万円の出費(後に、借主および保証人に請求することはできる)が必要になる。面倒なことだ。だから、保障会社などを通じて、立ち退きの代行を頼めば、安くしかも早く立ち退かせることが出きる。
ただこの方法にはやり過ぎが多々見受けられる。不法行為といえるものを超えた、明らかに違法行為と認定できるものまで行われ、借主の権利を大いに侵害することになる。借主には不法行為による損害賠償請求を起こす可能性がある。
一方、借主の立場からの見方。アパートなどを借りた場合、家賃を支払うのは当然だが、失業するなど収入が激減した場合、支払いたくとも支払うことの出来ない状況が生じることは仕方ないことだ。数ヶ月、待ってくれてもいいじゃないか。それをドアの鍵を代えるなどして締め出すのは、家主の横暴だ。
とまあ、こんな具合だろう。一見すれば、どっちもどっち。家主もやりすぎだし、借主も甘えるな、と思う人は多いだろう。
こうした問題の見方は、見る人の信条にも拠るので、どちらが正しいなどということを言う気は全くない。ここで問題視したいのは、従来、日本社会が持っていた「ゆとり」が喪失してしまっているという現実だ。
かつての日本社会では、家主は親も同然として、借主の事情を察し、家賃の滞納を待つことも家主の責任だと考えていた。だから借主としても、家主を敬い、それ相当の対応をしていたのだ。すぐに返せなくともお金が入ったときは必ず、返済する借主は多かった。
ところが、現在の日本社会は変わった。借主には大家さんという意識はなく、単に投資の対象としての不動産業という認識だろう。だから家賃を支払わない借主は「損失」であり、できるだけ排除したいと考える。一方、借主にしても家賃が安いことに越したことはないと考え、経済的な観点でしか賃貸契約を見ない。時に困窮した場合には、従来の日本社会が持っていた寛容性に訴えかけようとはするが、元々、借主にもそのようなことなど考えていないのだから、「甘え」と受け取られる。
経済至上主義などと証されるが、社会のもつ寛容性や「ゆとり」のようなものが日本社会からは著しく減少している。だから、問題が生じるのだ。法律は日本社会のがゆとりや寛容性を持っていたときに制定されているので、現在の不動産取引の実態にそぐわなくなっている。家主は自らの権利を守るためには、多少、強引であろうと立ち退きを早期に迫るしかない。一方、借主は自らの居住権を主張する。法律がその実態に合わないために、両者の利益を適切なところで折り合わせることが出来ていない。
日本社会にゆとりがなくなった、と嘆くことはたやすい。しかしそれでは根本的な問題解決に辿りつくこと等出来やしない。実際の社会の実情に、法律や政治などを合致させることが、「変革」なのだと思う。今こそ、CHANGEが必要なのだろう。
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