« 首相の器: 麻生首相のKY | トップページ | 国家のもつハードとソフト »

2008年11月21日 (金)

救急医療の現場をめぐって

1999年、割り箸がのどに刺さった子どもが医療機関で診察を受けた後死亡した事件の高裁判決があった。無罪というものだった。

朝日新聞の記事は次のとおり。**********
男児割りばし死亡事件、医師は二審も無罪 東京高裁
2008年11月20日15時4分
 東京都杉並区で99年、割りばしがのどに刺さった杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4)が受診後に死亡した事故で、東京高裁(阿部文洋裁判長)は20日、業務上過失致死罪に問われた医師根本英樹被告(40)に対し、一審・東京地裁の無罪判決を支持し、検察側の控訴を棄却する判決を言い渡した。
 隼三ちゃんは、盆踊り大会で綿あめの割りばしをくわえたまま転倒。救急搬送された杏林大医学部付属病院(東京都三鷹市)で当直医だった耳鼻咽喉(いんこう)科の根本医師の診察を受けて帰宅したが、翌朝に死亡した。死亡後の司法解剖で、約8センチの割りばし片が残っていたことが分かった。
 公判では、隼三ちゃんの頭蓋(ずがい)内に損傷が起きたことを疑って、必要な治療や検査をする義務があったかどうか▽診療結果と死亡との間に因果関係があったかどうか、などが争点となった。
 判決は、刺さった異物が頭蓋内に達したという報告例が事故当時は見当たらず、今回の事故が「特異な例だった」と指摘。当時は口の中の傷に対する診療の基準も確立していなかったと言及した。
 その上で判決は、耳鼻咽喉科の当直医として「受診した隼三ちゃんの傷口や意識状態から頭蓋内の損傷を想定し、それを意識した問診をする義務があるとは言い難い」として、根本医師に過失はなかったと結論づけた。
 さらに、頭蓋内の損傷を疑ってコンピューター断層撮影(CT)などで検査したとしても、救命できた可能性は低かったと判断し、死亡との因果関係もなかったとした。
 06年3月の一審判決は、受診時の隼三ちゃんが、意識が低下したり、嘔吐(おうと)したりしていたことから、根本医師が頭蓋内の損傷を疑って脳神経外科医に引き継ぐべきだったと一連の対応を批判。根本医師の過失を認める一方で、救命の可能性はきわめて低かったとして、因果関係については認めなかった。
 判決について、根本医師は「改めて深い哀悼の意を表したい。事故から9年余り、長く苦しい時間だったが、判決でその苦労が報われた思いだ」とする談話を出した。(河原田慎一)
****************************************

裁判所の判断として、妥当なものだと考える。ただ、子どもを亡くした両親の憤りも理解でき、やり切れない気持ちが募った。改めて、救急医療の現場を検討する必要があると思う。

この裁判での構図は、医療を行った医師と子どもを亡くした両親が争う形になっている。この構図の下で、子どもを亡くした両親の悲痛な叫びと深い悲しさは想像するに難くない。一方、医療を行った医師にしても、医師として通常の注意義務を果たしているので、これを医療過誤として批判されることは、当該医師としても、また救急医療に携わる医師すべてにとっても心外なことであり、これで法的責任を問うことは医療行為の否定につながる重大な問題を孕むことでもある。

筆者としては、裁判の構図に置かれていないほかのアクターに重大な責任があるのではないか、と疑っている。1999年に発生したこの事件は、今、議論されている医師不足などの問題が起こる以前のものであるが、当時から、医療現場での人的資源の減少、特に救急医療現場での医師の減少は問題視されていたものだ。医師の労働環境が著しく悪く、医師の体力が持たないため、救急医療から身を引いていく医師があとを耐えないと問題視されていた。にもかかわらず、政府、厚生省、医師会、国会は、何ら対策をとろうとはしなかった。

かえって、どこかの軽率な首相の発言にあったように「医師は社会常識がない」といった類の理屈をつけて、医師を批判することに終始していた。その延長線上に、今回の裁判があるのである。国民世論が、そうした世論操作に操られ、医師に対する批判に向かったため、警察・検察はこれ幸いに、医師を検挙する暴挙に出たのだ。

その結末は、明らかだ。救急医療の現場での医師不足は解消するどころかさらに深刻化し、救急医療そのものを停止せざるをえない医療機関が続発している。日本の医療制度を根本から崩壊させているのは、医師ではなく、政治の無策とその責任転換にあるのだ。

男児割り箸死亡事件では、子どもを亡くされた親も、起訴された医師も被害者である。通常の注意義務を果たしている医師に、なぜ業務上過失致死罪が問えるというのだろうか。一方、ご両親も、インターネットなどで理不尽な中傷をされたという。親の立場に立ったとき、その悲しみと憤りを医師に向けるように仕向けられた中で、医師を批判することをなぜ批判できるのか。両者にとって、この10年近くの時間は地獄の苦しみであったと思われる。そうした地獄を見せたその原因は、政治にあるのだ。

<閑話休題>
話は変わるが、匿名で人を批判すること程、卑怯なことはない。今回の裁判に関わり、子どもを亡くされたご両親をインターネット上で中傷した輩は、深く反省すべきだ。インターネットが匿名であるということは嘘だ。調べなければ匿名のフリができるということに過ぎない。

だからこそ、インターネットでは節度ある発言が求められる。いつかインターネット上で匿名で発言していたことが問題視されたとき、その発言の責任を自らの名前でとることが出来るようにしておくべきだ。インターネットでの発言、特にブログなどでの発言は、権力ということを基準にすれば、弱者の発言機会を作り出す武器でもある。この手段を、安易に使うべきではない。そうした軽率さが、今の内閣総理大臣を生み出しているのかもしれない。

そういえば、今の内閣総理大臣はオタクから人気があったのですよね。今風に言えば、キモ~イ、と言うのでしょうか。

|

« 首相の器: 麻生首相のKY | トップページ | 国家のもつハードとソフト »

コメント

あなたの原因分析は間違っています。
当時の医師の知見では無理だったとあるのです。来年同じことがあれば、医師の過失になります。つまり、知識の有無が原因で政策のせいではありません。

投稿: | 2008年11月21日 (金) 20時01分

上のコメントに関して。
記事の中で医師の過失については、通常の注意義務を払っている限り、問うことは出来ないと書いています。上のコメントのとおりです。
ただし私が問題視しているのは、医療を取り巻く制度的な問題です。事件に対する判断はすでに高裁でされているので、私がすることに意味はありません。つまり医師の知識の有無を問い、責任を問うためにこの記事を書いたわけではありません。
個人的には、記事にも書いたとおり、双方にとって裁判になった事件は不幸であったと考えています。
コメントした方の読まれ方と、私の指摘した問題とにズレがあります。よく読んでいただきたい。

投稿: ケケロ | 2008年11月27日 (木) 11時28分

このブログを読んで医師が今、どのような状況におかれているのかを理解していただいている喜びました。しかしその一方で、匿名の方が批判されているような近視眼的な批判がまかり通っているのも事実です。医師は現場では最善を尽くしているのです。それをサポートしてくれる制度がなくなりつつある現状を多くの方が理解してくださることを祈るばかりです。

投稿: 一人の医師として | 2009年2月15日 (日) 01時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1017522/25530678

この記事へのトラックバック一覧です: 救急医療の現場をめぐって:

« 首相の器: 麻生首相のKY | トップページ | 国家のもつハードとソフト »